2012年5月4日金曜日

廃県置藩について

ゴールデンウィーク後半に入りましたが、皆さんいかがお過ごしですか?

道路はどこも混んでますね、気をつけて運転しましょうね。

今回の話題は「廃県置藩」です。

それ何?って皆さん思われていると思います。私も最初は???でした。

ちょっとまわりくどいですけど、しばらくお付き合いください。

私が知ったのは、診療所においてある雑誌に内田樹さんの唱える「これからのジャパン 異論正論暴論(?)篇」という記事で紹介されていたところからです。

内田樹さん

http://blog.tatsuru.com/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9

インターネットで簡単に調べたなかでは、最初に唱えたひとというのも書かれていましたが、「廃県置藩」についての認識は唱えるひとによっても少し違うようです。「廃藩置県」をもじったことには違いがないようです。

言葉のとおり、県を廃して藩を置く。

内田さんの考えをブログにまとめていただいたところがありました。

http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/05/000822.html

「道州制」に対抗する考えでもあるようです。


「一次産業を強化して全員が食えるシステムを作る」
「住民たちの実際の同胞感覚と連帯意識が自治体の基礎にあるべきだ」
「集団というのは、幼児や老人や病人や障害者を含んでいるのが常態であって、そういう弱者たちを支援するためにこそ集団はある、そういうふうに考えることができる範囲内に基礎自治体は抑制すべきだ」

http://gqjapan.jp/2012/03/28/uchidatatsuru1-2/



司馬遼太郎さんのエッセイ本を図書館で借りて読ませていただいているのですが、その一節に同様な考えがでていたので、紹介させていただきます。

「この国のかたち」という本ですが、そのなかの「江戸期の多様さ」と言う題のところからの紹介です。多分1980年代のバブルの絶頂からのかげりが見え始めた頃のものです。

・・今の社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが平面的な統一性。また、文化の均一性。さらにはひとびとが共有する価値意識の単純化。たとえば、国をあげて受験に熱中するという単純化へのおろかしさ。価値の多様状況こそ独創性のある思考や社会の活性を生むと思われるのに、逆の均一性への方向にのみ走り続けているというばかばかしさ。これが、戦後社会が到達した光景というなら、日本はやがて衰弱するのではないか。

そういう不安から、この稿を書きたい。・・・

このエッセイから20年超たった現在、失われた10年からさらに10年たち、本格的な低成長の時代に入ろうとしております。司馬さんの文章はまさに現代が直面している問題を的確に指摘していただいているように思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F10%E5%B9%B4


その後、江戸期の300近くあった藩の多様な教育制度を中心にのべられ、最後に

・・このように士族の教育制度という点からみても江戸期は微妙ながら多様だった。その多様さが・・中略・・明治の統一期の内部的な豊富さと活力を生んだと言える。

とくくられています。

困難な時代を乗り越えていくには、画一的な教育で作り上げられた均一なひとびとよりも多様多彩な人材が求められるということでしょうか。

話があちこちいっちゃいましたが、廃県置藩いかがでしたか?

江戸時代の分け方がそのまま現代に通用するとは思えませんが、江戸時代の藩の分布をみながら、現代ではどうなるか想像するのは悪くないですよね。

http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

連休中なので少し長くなってしまいました。お付き合い有難うございました。


やもりととかげの違いがいまいちなんですが、これはとかげだそうです。


暖かくなって、虫が大発生した関係でとかげ君もでてきてくれました。


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