先週、富山の学会のあと、山代温泉にたち寄らせていただきました。
学会の報告については、またの機会にさせていただきたいと思います。
山代温泉は母の実家のすぐ近くなので、用事で行ったことは記憶にあるのですが、温泉に入ったのは初めてでした。じっくりあたたまることができ、疲れがとれる、良いお湯でした。
http://www.yamashiro-spa.or.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%BB%A3%E6%B8%A9%E6%B3%89
この地を訪れて、魯山人と山代温泉のつながりを知りました。
宿に飾ってあった魯山人の作品 |
初期の作品だそうです |
陶芸、星ヶ岡茶寮、書画、美食家・・・。断片的なことしか知りませんでした。
すぐ近くに北大路魯山人が半年ほど滞在していた寓居あとが公開されていたので、みてきました。
いろは草庵
http://www.kagashi-ss.co.jp/irohasouan/yamashiro.html
北大路魯山人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%B7%AF%E9%AD%AF%E5%B1%B1%E4%BA%BA
何必館
http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html
大正4年10月、刻字看板つくりの食客として、旅館吉野家から、滞在先としてこの草庵を提供され、草庵で看板つくりにいそしまれ、この草庵で山代の湯の曲輪(ゆのがわ)旦那衆と交流を深めたそうです。
その中に明治23年、この地で窯を開いた、初代須田菁華がおり、この菁華が魯山人の才能を見抜き、陶芸の手ほどきをしたそうです。山代での滞在期間は1年弱だったようですが、その後晩年まで、しばしば山代を訪れたとのことです。
北大路魯山人から調べても、山城温泉で陶芸を始めたはなしはあまりでておりませんでした。
わずか1年弱の滞在で、その後の人生に大きく影響したことを考えると、出会いの大事さを再認識いたしました。
山代温泉自体は、観光客が減って大変と聞きます。
歓楽街として、過去に栄えた場所ですが、良いお湯、美味しい料理(豊富な食材)、豊かな自然、魯山人を育んだ文化など、歓楽街ぬきでも、伝わりにくいですが、再興する要素はあるように思います。
かげながら応援しております。
いろは草庵 |
草庵のなか |
庭に碑がありました |
こじんまりとした 草庵らしい建物でした |
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